
結婚式場 東京のために必要なものとは?
これからもし方向転換して、なにか違う仕事をするとしても、それはそれでまた同じ迷惑をかけ、同じ苦労をするんだろう、とも思ったのです。
だって、ことは私の不器用とそそっかしさがすべての元凶。
そのことを理由に転職をくり返しても、事態がよくなるとは思えませんでした。
だったら、とにかくここでがんばるしかないと思い決め、私は今日まで働いてきています。
ありがたいことに、時がたつにしたがって、少しずつ仕事も覚えるようになり、四年目そして、そんなうらぶれた気持ちでいる時に限って、お年寄りの紙おむつから、うんこがはみ出て、廊下に落ちたりするんです。
「あー、出ちゃいましたねー。
拭きましょうねー」と、努めて微笑んではみたものの、自分の声が、ひどくうつるに耳に響きました。
いつか、いつか、私も急変の介助につくぞ。
その時私はそう心に決めました。
そして、同じ仕事を長く続けていると、慣れで克服できる部分もかなり多いんですよね。
慣れれば気持ちに余裕もできるし、これまではよたよたやっていたことも、自信を持ってできるようになります。
また、自分のやらかしそうな失敗の傾向もわかってきますから、そこに注意することもに入ったころから、ようやく他の三人との差がつまった気がしました。
そのきっかけは、ある時、急変時に正しい対処ができてから。
看護の仕事って、けっして技術だけの問題ではないのですが、やはりある程度場を踏んで技術に自信が出ないと、どうにも先に進まないのも事実のようです。
とにかく、私が他の同期に対して、ひけ目を持っていたのは、ひたすら技術的な面でした。
技術的な問題のほかにも、看護に取り組む気持ちとか知識など、評価の対象になるものはあったのでしょうが、技術の部分にこだわっていた私は、その他のものが見える状況ではなかったのです。
異常な緊張やコンプレックスは、そそっかしさと不器用さを、さらに助長します。
小さなミスをくり返す人は、緊張が足りないと見られやすいのですが、実は緊張に弱いも多い気がします。
なるべくプレッシャーを感じず、自分に自信を持つことで、それは多少、緩和されます。
もちろん、基本は、とにかく確認、確認、また確認。
人の名前や薬の名前、投与量など、音読してつき合わせるくらいの慎重さが望まれるのは、当然です。
そそっかしい、不器用という制約はあるなかでも、なんとかひととおり仕事ができるようになれば、必ず道は開けます。
くさらず、あせらず、じっくりひとつのことを続けていれば、きっといいことがありますよ。
じゃあ、不器用でそそっかしい人間が看護婦になる場合、なにに気をつけたらいいでしょうか。
まず、不器用でそそっかしい人間が一番してはいけないのは、自分が危ない人間だという事実を隠すことです。
仕事がそれなりにできるようになって、自分に自信を持つのは、もちろんいいことなのですが、根っこの性格までは変わっていないことを、十分自覚しておくべきです。
周囲の人から危なっかしく見られるのはたしかに情けないことですが、そう見られておいたほうが、フォローを受けられる分、大きな失敗はやらかしません。
ひょっとすると陰で、「あの人は、何年たっても仕事を任せられない」なんて言われることもあるかもしれない。
でも、世の中でかいことをやらかすのは、〃あの人に限って″って言われるような人だと思いませんか?人間、失敗が全くない人なんて、実はいないものです。
医療の世界は、小さなミスが許されない、と言われている割に、さまざまなミスが出て、問題になっています。
でも、私が思うに、〃医療に小さなミスが許されない〃というかけ声の下で、〃本来人間にはミスがつきものだ〃という事実がタブーになっていることが、むしろ問題を生んでいる気がして小さな失敗、ささやかなうっかりは人間にはつきものです。
それがあっても、二重三重にチェックされ、フォローできる仕組みになっていることが、大切なのではないでしょうか。
ミスをなくす個人の努力はもちろん大切ですが、それがなかなかゼロにならないことも、周知徹底する必要があります。
その意味では、ミスをお互いに発見しあい、フォローしあうことは、とても大切なことだと思います。
ですから、人からミスを指摘された時、そのことに落胆するより前に、できることなら、指摘してくれた人に感謝するようでありたいものです。
もちろん、その言われ方によっては、ひたすらめげるだけになってしまうこともあるでしょうが…。
また、不器用でそそっかしい人間が仕事を続けるには、周囲のフォローが不可欠。
そのためには、ミスを重ねても愛想を尽かされないキャラクターでなくてはなりません。
ミスを減らす努力をしつつ、ミスをしても愛され、フォローされる人間になるように心がけましょう。
そのためには、自分にできないことは、人にも求めない寛大さも大切です。
人間、コンプレックスを持つと、自分よりできない人間を探したい衝動に駆られるものですが、それはもう、厳禁。
「○○さんのほうが、私より失敗が多い」みたいなことを言いだしたら、周囲から、〃目クソが鼻クソ笑ってる〃と見られるのが落ちです。
また、いつも失敗をしていると、人の失敗まで自分のせいとされてしまうことがあります。
明らかに事実と違うなら、きちんと更生するのはかまいませんが、間違っても、自分の失敗を人のせいにすることはないように。
最終的に、相手に感謝して気持ちを切り替えるほうが、自分の気持ちも楽になるんです。
そして、自分の現状に開き直らず、ましになろうとする努力は、もちろん必要です。
そして、その努力を続けてさえいるならば、カメの歩みの進歩でも、少しずつましにはなっていくはず。
その日が来るのをねばり強く待ちながら、周囲に感謝し、けっしてくさらず、日々のお勤めに励みましょう。
記録に始まり記録に終わる 実習という不思議な世界大学、専門学校といった教育課程の違いを問わず、看護学校に特徴的な教育に、病棟での実習があります。
この実習では、学生がひとりの患者さんを受け持ち、その疾患について学び、必要なケアを計画し、実施するのが基本。
学校によっては、夜勤実習や、ひとつの病室を何人かの学生で見るチーム実習など、特徴ある実習を組み込んでいるところもありますが、ベースになるのは、患者と学生の一対一のかかわりであり、ここが、学生と看護婦の一番違ってくるところなのです。
実際、看護婦として働き始めると、一対一での患者さんとのかかわりというのは、ほとんどありえません。
最近では、看護においても日々の業務に流れることなく、患者さんの個別性をとらえられるように、ということで、いわゆる医師の主治医制にも似た〃受け持ち制看護″がとられるようにはなっていますが……。
それでも、いざ勤務となれば、休みや他の勤務帯で出ている看護婦が受け持っている患者さんのケアもするわけで、一対一の援助にはけっしてなりません。
ですから、ひとりの受け持ち患者さんのことをひたすら考えられる看護学生時代は、まさに究極の看護がありうるでしょうし、たまたま学生時代にそうした感動あふれる実習ができた看護婦のなかには、その思い出があまりに強烈で、実際働きだしてからの看護にもの足りなさを感じてしまう人もいるようです。
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